「私たちの出会い」

ローマの信徒への手紙1:11-13

救われた聖徒の生活、それは祈りの生活です。
祈りを通して神の御旨が何か、という事がしっかり解かるようになります。
神の御旨を悟らない祈りは、
自分の主観、自分の本質、自分の思いをそのまま祈っただけです。

パウロは主の御旨により、ローマへ行くことを祈りました。
私達が誤解してはいけないことは、
「神の御旨だから、成し遂げられるその時まで私はなにもしません。」と、
ただ座っている姿はあまりよくない姿です。
主の御旨であり、その答えが遅くなっても、
祈りながら今、自分がするべきことをしっかりする。
その様な人が正しい主の僕であります。
私達がそれぞれ神様から戴いた恵み、賜物は、兄弟姉妹のために、
周りの人達の為に神様が器として、必要な力として与えられた大事なものです。

パウロはなぜローマに行きたかったのでしょうか。
彼等に出会って励まし合うため、信仰によって教会で出会ったのです。
この信仰によって出会った交わりを、人間の交わりに変化させないようにお願いします。
そして教会の実り、新しい魂が主に戻って救われる実りです。
その実りの実がたくさん結ばれる教会にならなければなりません。

「神様の強烈な愛」

ヤコブの手紙4:4〜10

聖書が人間に伝えている一番大きなメッセージは、
主なる神様の愛です。
聖書にはご自分の民である私達を愛される「愛」について、
夫が妻を愛するように愛されると伝えています。
このような神様の愛について「強烈な主なる神の愛」と
表現したいと思います。
なぜでしょうか。
この愛は第三者が入ることの出来ない、
神様と聖徒の関係だからです。
神様が私達を愛して下さる「愛」は、
妬ましい程に深い愛です。

しかし世の友が第三者として入り、
神様を裏切りました。
私達は神様の強烈な愛に背いて世の友となってはいけません。
神様の愛を裏切らず世の友とならないためには、
どのようにすべきでしょうか。
まず高慢な者になってはいけません。

「謙遜な者になりなさい。神に服従し悪魔に反抗しなさい/6~7節」

そして神に近づきなさい。
そうすれば神は私達のところに近づいて下さいます。
悔い改めて謙遜な者になりなさい。
手を清め、心を清め主の前にへりくだりなさい。
そうすれば、主があなた方を高めて下さいます。