「神様はどういうお方でしょうか」

創世記1:27-31

まことのクリスチャンとして生きる為に私達に必要なことは何でしょうか。
目に見えない神さまをどうして完全に知ることが出来るでしょうか。
私達はこの世を離れ、霊として神様の御前に立つまでは、
神さまがどのようなお方であるか完全に知ることはできません。
しかし、私達には神さまについて知る方法がいくつか与えられています。
それが礼拝することであり、祈ることであり聖書を読むことなのです。

神さまが私たちの創造主であることを信じる時、
私達は神さまの御言葉に従うようになります。
また、神さまは父性と母性両方を備えておられる方です。
御子なるイエス・キリストは母性の愛を備えておられます。
神さまは父性と母性により私達を祝福してくださり、
愛してくださり、
いつも見守ってくださいます。
私達を惜しげなく祝福してくださいます。

神さまが人間に惜しみなく与えてくださった祝福とは、
いったいどういうものでしょうか。
祝福とは人間がその存在する目的を果たすために、
神さまが与えて下さった恵みです。ただ、注意しなければならない事は、
神さまを求めるのではなく、祝福だけを求める行為です。
恵みの事実を忘れ祝福だけを求める人は、
立派なクリスチャンになることはできません。
その様な人は偶像を拝んでいるのであって、神さまとは関係ありません。

「キリスト者の正しい物質観」

ヤコブの手紙 5:1~6

今日いただきました御言葉は、
主を知らず、主の御心が何か?
ただ肉の前に、見えるものを追い求める
全ての人達に与えられる警告のメッセージであります。

「富んでいる人たち、よく聞きなさい。
自分にふりかかってくる不幸を思って泣きわめきなさい。」
1節

キリスト者が物質に対して、どのような物質観を持つべきなのか、
という事です。
私達は御言葉に耳を傾けなければなりません。
「よく聞きなさい。」
と書いてあるからです。
ダビデが主の神殿を建築するために、大きな献金を捧げました。
聖書は、正しい信仰を持っている人がお金を持っていると、
価値のある大事な業に用いられることを教えて下さいます。

また聖書は、
「金銭の欲は全ての悪の根です。
 金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、
 さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。」
 テモテ1章10節

と教えています。金銭欲ではなく、
額に汗して各々の置かれた場所で一生懸命働きなさいと教えています。
大事なことは、私達はただ物質を追い求めるために仕事をするのではなく、
信仰の中で、御心の中で仕事をし、生きる道を歩むべきだという意味です。
快楽や贅沢のみを追い求める人達には、必ず
「泣きわめく」その時が来ます。
私達がどのような環境で働き、どのような道を歩んでいても神さまが見ておられ、
憶えておられます。お金を儲けるときも、正しく働かなければなりません。
幸せなキリスト者はいつも、
自分の本分・ポジションを守る人です。

「わたしは誰なのか」

ヤコブの手紙4:11 – 12

教会へ出席し礼拝を捧げ、
キリスト者の名前を持っていても、
その共同体の中で戦いや争い、ねたみがなぜ起きるのでしょうか。
その原因は、イエス・キリストを信じながらも心の中に、
所有欲があるからです。
正しくない所有欲は、
その所有物のゆえに争いと戦いが起き、
全ての人生の幸いを奪うことになります。
所有欲は私達の人生を破滅に引っ張り破壊します。
このような破滅に引っ張られる人生にならないために、
自分が誰か、私は何者か、ということを確かに知る必要があります。

私は何者でしょうか。

「兄弟達、悪口(あっこう)を言い合ってはなりません」11節

悪口はキリスト者の口から早く切り捨てねばなりません。
悪口とは悪魔が使う言葉、あまり良い言葉ではありません。
私達は律法を定めた創造者ではありません。

「律法を定め、裁きを行う方はおひとりだけです」12節

その方こそ主なる神様です。私達は神ではありません。
創造者ではありません。真の創造者が定められたこの律法、
御言葉を見守りながら実践する実践者であります。
神を愛し隣人を愛しなさい、と神様がおっしゃれば「はい」と従順する。
これが御言葉を実践する実践者であります。
人を愛さない人は、人を裁く者となったとなったと同じです。
私達は人の立場でありながら、
神の立場になって人を裁いてはなりません

幸せなキリスト者はいつも、
自分の本分・ポジションを守る人です。

「新たに生まれた者の生活」

ヤコブの手紙1:19-27

キリスト者の救いは御父なる神の御心のままに、
真理の御言葉によって私達を新しく生んで初穂としてくださいました。
そして神の国の民としてくださいました。
私達の国籍は天の国です。
新しく天の国の民となった私達は、
誰のために生きるべきでしょうか?
御父なる神、その方のために生きる存在であると悟ります。

神様の義を成し遂げるキリスト者の具体的な生活は、
「よくわきまえる生活」。
この世で起こる全ての事には、神様の摂理があります。
これをよくわきまえなさい。
自然啓示、御言葉を通して神様の声を聞くのに早く、
話すのに遅く、怒るのに遅いようにしなさい。
御言葉を聞くのに早く、人を活かす話、勇気を与える話をし、
自分の感情が心を支配しないようにしなさい。
古いもの(ローマ1:29-30参照)は全部捨て、
天の国の市民権を戴いた者として天の国の法律である
御言葉にいつも従順し一つの汚点もなく新たに生まれた私達に、
神様が限りない大きな喜びと希望を与えてくださいます。