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ヤコブの手紙4:11 – 12

教会へ出席し礼拝を捧げ、
キリスト者の名前を持っていても、
その共同体の中で戦いや争い、ねたみがなぜ起きるのでしょうか。
その原因は、イエス・キリストを信じながらも心の中に、
所有欲があるからです。
正しくない所有欲は、
その所有物のゆえに争いと戦いが起き、
全ての人生の幸いを奪うことになります。
所有欲は私達の人生を破滅に引っ張り破壊します。
このような破滅に引っ張られる人生にならないために、
自分が誰か、私は何者か、ということを確かに知る必要があります。

私は何者でしょうか。

「兄弟達、悪口(あっこう)を言い合ってはなりません」11節

悪口はキリスト者の口から早く切り捨てねばなりません。
悪口とは悪魔が使う言葉、あまり良い言葉ではありません。
私達は律法を定めた創造者ではありません。

「律法を定め、裁きを行う方はおひとりだけです」12節

その方こそ主なる神様です。私達は神ではありません。
創造者ではありません。真の創造者が定められたこの律法、
御言葉を見守りながら実践する実践者であります。
神を愛し隣人を愛しなさい、と神様がおっしゃれば「はい」と従順する。
これが御言葉を実践する実践者であります。
人を愛さない人は、人を裁く者となったとなったと同じです。
私達は人の立場でありながら、
神の立場になって人を裁いてはなりません

幸せなキリスト者はいつも、
自分の本分・ポジションを守る人です。

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