「エルサレムを愛する人々」

詩篇122:1-9

詩篇122編はイスラエルの王・ダビデが、
ガド人、オベド・エドム人に放置された主の箱をエルサレムに運んで、
イスラエルの民が神のみに仕えて永住を祝する心を持たせるために、
神殿に昇る歌を作って歌いました。
また、エルサレムをイスラエルの都として決めました。
それではこのイスラエルの都・エルサレムは、
霊的にどのような意味があるのでしょうか。

聖書にはエルサレムについて、
神様の処、神の国と示されています。
そして主の教会を表しています。
エルサレムを愛する人は主の家に昇ろうという時、
全ての事を置いてすぐに昇ることができます。
これが私たちの主の家を愛する、
救われた生徒の信仰の心だと思います。
私たちはこの世では王の資格はありませんが、主なる神様が私たち一人一人を
選んでくださり、永遠の都・エルサレムで生きるように祝福してくださいました。

私たちは王の王であるイエス・キリストの血潮によって、
永遠の王子になり将来、王として生きるようになります。
日常の生活が喜びの中にあっても、
悲しみの中にあっても、
私たちの永遠の主処であるエルサレム、
その都を約束されている事を考えますと満足し、
希望を持って大胆に生きることになります。
また、自分の住まいよりエルサレムの平安のために祈る人となります。

「エルサレムの平和を求めよう。
『あなたを愛する人に平安があるように』」6節

「旅人」

ペテロの手紙1:1-2

宣教の旅は大変です。
旅とは苦労が伴わないと普通の旅としての記憶しか残らないが、
苦労が伴った旅は、味わい深い宝石のような尊い記憶として残るのではないかと思います。
聖書に、私たちの人生を旅のようだと例えています。
また、その人生を生きる私たちは、旅人であると伝えています。
今日の本文は、イエス様の弟子であるペトロが、
「各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たち」
と伝えています。

イエス様の血潮によって救われ、
選ばれた私たち、聖なる者を旅人だと表現しています。
また、別の表現で苦難の中で耐え忍ぶ事が、
後に神様から大きな報いを得ます、とペトロは強調しています。

私たちの旅には試練がつきものです。
旅において大事なものは何か、考えたいと思います。
いかに荷物を最小限に止めるか、旅人に荷物が多いと大変です。
神様が「来よ」と言われた時、
私たちには帰る本当の故郷が待っています。