「その御名のために」

ローマの信徒への手紙1:5

イエス・キリストは真の神さまでありながら、
人間の姿で人間としてこの世に来られ、
私達の全ての罪を許して下さるために死なれ、
罪人である私達と聖なる神様の間を結びつけて下さった、
永遠の救い主であります。私たちの人生の中でただ一度しか聞こえない、
伝えられない喜びのニュースをどう聞くようになり、悟らせて戴いたのでしょうか。

「わたしたちはこの方により」15節
「この方」とは主イエス・キリスト、
その恵みを受けて信じる者となりました。
キリスト者を憎み迫害したパウロが、
キリスト者の前に立ち福音を伝える働きをするようになり、
狂った人と言われました。
イエス・キリストの御名の為に生きる。
一言で言うと、宣教、福音伝導、証人の生き方、
それがその名の為に生きる人生であるという意味です。
皆さんは宣教の働きの為に繋がるような生き方をされていますか。
「御名の為に生きる」とは、福音を伝える事です。

キリスト者は自分の生活の中で、何より礼拝を大切な優先順位として決めます。
救われた、恵まれた者として一番大切な事は、主に捧げる礼拝です。
礼拝は心です。
また、福音宣教の為に生きようと頑張る生き方ではないでしょうか。
教会の目的は主に礼拝と栄光を捧げる事、もう一つは宣教です。

「キリスト者と誓い」

ヤコブの手紙5:12

罪人である私達に使徒ヤコブは
「わたしたちの兄弟達何よりもまず、誓いを立ててはなりません。」
“何よりもまず、誓いを立ててはならない”と強調しています。

キリスト者として勝手に約束したり、
しなかったりするのは止めなさい。
約束したなら必ず守るべきであるという御言葉ではありませんか。
聖約・約束とは、神との約束です。
だけど、罪人である私達人間は弱いので、
これをよく守らないですね。今日ヤコブ使徒が伝える御言葉は、
イエス様の山上の教え、

「誓ってはならない」(マタイ5章)

と、その通りに教えています。
イエス様は本当に誓ってはならないと教えられたのでしょうか。
キリスト者の正しい誓いこそ素直なキリスト者の信仰告白であり、
自分が誓った通り行う事によって、
主なる神様と共に謙虚な信仰生活を送ることになり、
神様はその敬虔な生活を祝福してくださいます。
私達の信仰も神様に誓いながら、
その誓いを素直に守る事、これが聖書の言わんとする処です。
自己中心の軽い誓いは、主なる神様を冒涜する行為です。
信仰の良心に従って然りは然り、
否は否と素直な信仰生活をするのが良いと、
ヤコブ使徒は教えています。