「律法の目的」

ローマの信徒への手紙7:12-13

今日は律法をなぜ神様が与えてくださったのか、
その目的について私たちに伝えてくださいます。
パウロは、律法について誤解しないように何度も聖なるもの、
神様から与えられたもの、私たち民の立場からは従わなければならないもの、
だから掟と表現しています。
律法は正しくその道を歩んでいけば、
結果も善いものと書いてあります。
また、罪が限りなく邪悪なものであることが掟を通して示されました。
律法に問題があるのではありません。
罪の裏側に隠されている悪霊そのものです。
悪霊はいつも自分の正体を隠します。
そして掟を通して私たちを滅ぼすために接近しますが、
主なる神様はむしろその掟を通して、
罪と悪魔の限りなく邪悪であることを全部知らせます。
このような霊的な戦争が、私たちの心の中で起きています。
これが信じるキリスト者の霊的な戦いです。

結論として
信仰生活の中で、これから一人も誤解しないようにお願いします。
律法は、限りなく邪悪なものであることを教えてくださるために
与えてくださった、主の聖なるものであります。
律法の役割は、

・限りなく邪悪なものであること(罪・悪魔)を教えてくださった
・恵み、すなわちイエス・キリストの所に私たちを導いてくださる教育係
・主が来られる時まで、主の未旨が何か、常に私たちに教えてくださる

律法の内容を、私たちは信仰の目で学ばねばなりません。

「わたしは誰なのか」

ヤコブの手紙4:11 – 12

教会へ出席し礼拝を捧げ、
キリスト者の名前を持っていても、
その共同体の中で戦いや争い、ねたみがなぜ起きるのでしょうか。
その原因は、イエス・キリストを信じながらも心の中に、
所有欲があるからです。
正しくない所有欲は、
その所有物のゆえに争いと戦いが起き、
全ての人生の幸いを奪うことになります。
所有欲は私達の人生を破滅に引っ張り破壊します。
このような破滅に引っ張られる人生にならないために、
自分が誰か、私は何者か、ということを確かに知る必要があります。

私は何者でしょうか。

「兄弟達、悪口(あっこう)を言い合ってはなりません」11節

悪口はキリスト者の口から早く切り捨てねばなりません。
悪口とは悪魔が使う言葉、あまり良い言葉ではありません。
私達は律法を定めた創造者ではありません。

「律法を定め、裁きを行う方はおひとりだけです」12節

その方こそ主なる神様です。私達は神ではありません。
創造者ではありません。真の創造者が定められたこの律法、
御言葉を見守りながら実践する実践者であります。
神を愛し隣人を愛しなさい、と神様がおっしゃれば「はい」と従順する。
これが御言葉を実践する実践者であります。
人を愛さない人は、人を裁く者となったとなったと同じです。
私達は人の立場でありながら、
神の立場になって人を裁いてはなりません

幸せなキリスト者はいつも、
自分の本分・ポジションを守る人です。