「今がどんな時であるか」

ローマの信徒への手紙 13:11-14

私たちは主からいただきました信仰の力があるので、
様々な試練を耐え忍んで霊的な実りの秋、
霊的な季節を迎える準備をしましょう。
本文の11節に

「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。」

と書かれています。
主が再臨される時が近づくという
終末論的な意味合いで伝わっていますがそれより大切なのは、
私たちは信仰の実をたくさん結ばなければならないということ、
それは信仰の実りです。

私たちの生き方・目的は何か、
そこにいつも人生の焦点を合わせて考えなければなりません。
今の時代が悪い時代、
主の国が近づいている時代、
私たちの使命を満たさなければならない時代なら、
私たちは具体的にどのような生き方をするべきでしょうか。

①光の武具を一生懸命身につけなければならない(12節参照)
 これを身につければ悪霊を全部退けることができます。
 これは私たちのこの世の使命です。

②キリスト者の品位を持つ(13節参照)
 自分の好きなものを切って捨てる決断・勇気、
 それが私たちキリスト者の信仰であり、
 品位を守ります。

③イエス・キリストを身にまといなさい。(12節参照)
 今の時代は暗雲が空を覆っている時代です。
 暗くなればなるほど、私たちキリスト者の使命が
 大きくなるのではないでようか。

「神の福音の力」

ローマの信徒への手紙1:16

私達人間は完全なものではないので、
置かれた環境の中で自分だけが少し違うと思う時、恥を感じます。
今日の聖書の箇所で、パウロ使徒が生きていた環境は、
自分と全く異なる新しい環境で暮らしていました。
パウロの生き方は福音宣教の生活でした。
周りの全ての環境は異なりますけれどパウロは

「私は福音を恥としない。」

と宣言しています。
当時パウロが福音を書いたコリントという地域は、
信じるキリスト者より信じない人が多かったです。
その環境の中で「私は福音を恥としない。」と伝えます。その為、色々な受難と迫害を受けました。
にもかかわらず、パウロは「私は福音を恥としません。」と宣言したのです。
これがパウロの信仰です。
福音とはイエス・キリスト、その力です。この力とは神様から出た力です。
この力は天地万物の創造、悪魔の勢力を退ける力、
死の権勢を退けて永遠の望みを与えて下さる力です。
神様の力が福音となって、私達一人一人に与えられたのです。私達もこの福音を持って生きると、
この力を経験する事が出来るという意味です。
私達の魂を、永遠の死から救って下さるのが福音の力です。
福音は全ての人達を救う神様の力ですけれど、そこには条件があります。
福音が与えられた時、それを信じる人にその力が与えられます。
「信じる者」
それが条件です。

「負債を負っている人」

ローマの信徒への手紙1:14-15

負債、
どうしようもない時、借りるのが借金です。
また、借りると必ず返さなければならないのが借金です。
今日、私達に与えて下さいました本文を読むと、
負債を返すことが出来ず、
苦しんでいる一人の信仰の先輩に出会います。その方はパウロ使徒です。

 それは肉の生活の為の負債ではありません。
ある日、イエス・キリストに出逢い人生が変わり、大きな負債を負っている事を悟りました。
彼の借金は神さまがただで与えて下さった大きな恵み、福音の借金でした。
パウロは、自分だけがその尊く大きな恵みを受けているのは駄目だと悟り、
世の全ての人達が主から戴いた恵みを返す対象である事を悟りました。
主なる神様からの借金なのに、
なぜ神さまに返さず全ての人々に返さなければならなかったのでしょうか?
それは神さまがただで与えて下さった愛によって、私達が救われたからです。
福音宣教は私たちの借金です。
福音の借金についての責任感を持って祈り、
大胆に福音伝道が出来る聖徒になりますように。

「真の幸せを望まれますか」

ローマの信徒への手紙1:1-4

人が、
この世で一番幸いな生き方をする秘訣は何かご存じでしょうか。
過激な表現で表すと自分がするべきことに狂うことだと思います。
自分がやるべきことに積極的な生き方をすると、幸いな人生に変わります。
聖書は、
「ローマの信徒への手紙」を通して人生を正しく狂ったイエス・キリストの僕、
使徒として選ばれたパウロを紹介しています。

パウロは、この世ではエリートとして生きていました。
ダマスコスでイエス様に出会ったその時から、
今までプライドを持って生きてきた全てのものを捨てて、
福音を述べ伝えるごとに、現実的には大きな苦しみに変わりました。
にもかかわらず、パウロはいつも、自分は幸いな者だと伝えています。
私達の本当の信仰は、イエス・キリストに出会ったその瞬間、
その時からその方を通して変わります。その方が私達の命の源であると確信出来ます。
このように、イエス・キリストを信じる方は、信じること事態が幸いであり、
その方の為に生きること事態が喜びであり、楽しい事であります。
何故でしょう?その人イエス・キリストは自分の真の主人になって下さるからです。
聖徒達の真の幸せはここにあります。
私達は、主イエス・キリストを正しく知らなければなりません。
正しく理解し、正しく信じるべきであります。正しく信じるということは、
パウロと同じ様に狂った者になるのではないかと思いますそれは、
その人の人生の幸いが保障されるということです。

「その御名のために」

ローマの信徒への手紙1:5

イエス・キリストは真の神さまでありながら、
人間の姿で人間としてこの世に来られ、
私達の全ての罪を許して下さるために死なれ、
罪人である私達と聖なる神様の間を結びつけて下さった、
永遠の救い主であります。
私たちの人生の中でただ一度しか聞こえない、
伝えられない喜びのニュースをどう聞くようになり、
悟らせて戴いたのでしょうか。

「わたしたちはこの方により」15節
「この方」とは主イエス・キリスト、その恵みを受けて信じる者となりました。
キリスト者を憎み迫害したパウロが、
キリスト者の前に立ち福音を伝える働きをするようになり、
狂った人と言われました。
イエス・キリストの御名の為に生きる。

一言で言うと、宣教、福音伝導、証人の生き方、
それがその名の為に生きる人生であるという意味です。
皆さんは宣教の働きの為に繋がるような生き方をされていますか。
「御名の為に生きる」とは、福音を伝える事です。
キリスト者は自分の生活の中で、何より礼拝を大切な優先順位として決めます。
救われた、恵まれた者として一番大切な事は、主に捧げる礼拝です。
礼拝は心です。
また、福音宣教の為に生きようと頑張る生き方ではないでしょうか。
教会の目的は主に礼拝と栄光を捧げる事、もう一つは宣教です。

「今がどんな時代であるかを知っている人」

ローマの信徒への手紙

キリスト者はどこに住んでいても自分が住んでいる時代、
自分が今生きているその時を、知らなければなりません。
霊的な分別力、わきまえる知恵を持っている人であることを、
パウロ使徒は伝えています。
私達が今生きている時代は、どんな時代か知っておられますか。
本文は今この時代は非常の時であるという事を暗示しています。
イエス・キリストの救いの完成の日が近づいて来ます。
「永遠の神の国に入る日が近づいた」という意味です。
その時、まだ信じていない人達はどうなるのか、
だから私達はこの徴しを通して、一人でも福音を聞いて、
主に戻るように導く私達の使命が大事であります。
終末の徴しについて

「人に惑わされない様に気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れる」
マタイ24:4-14

福音が全ての民族に宣べ伝えられると主は再臨されます。
だから私達キリスト者は、
主イエス・キリストの御心にかなう衣を身に付けなさい。
自分の信仰の品位を守りながら歩みなさい。