「キリスト者の使命」

ヤコブの手紙5:19-20

ヤコブの手紙を通して、現代を生きている私達にキリスト者の行い、
この世の生き方を伝えられました。
キリスト者の正しい生活が、
神から遠く離れた人の魂を救う事になるという意味です。
正しい信仰の道を歩んだ結果、
全ての選ばれた主の魂が主に戻るという神の主権的なメッセージが、
ヤコブの手紙の中に隠されています。
聖書が伝える人生としてー番価値ある尊い生き方は、
真理から離れている人達を真理に連れ戻す、
それが私達キリスト者の一番大事な生き方だと教えます。
私達はイエス・キリストの尊い血潮によって兄弟となった者です。
即ち信仰の共同体です。真理とは神の御言葉です。
真理から離れるとは、世の誘惑に迷い、あるいは負けた事を言います。
私達の立派な信仰の生活を通して、一人の魂が、
いや多くの魂が救われその罪を許される事。
これがキリスト者の二の世の使命であります。

「キリスト者と誓い」

ヤコブの手紙5:12

罪人である私達に使徒ヤコブは
「わたしたちの兄弟達何よりもまず、誓いを立ててはなりません。」
“何よりもまず、誓いを立ててはならない”と強調しています。

キリスト者として勝手に約束したり、
しなかったりするのは止めなさい。
約束したなら必ず守るべきであるという御言葉ではありませんか。
聖約・約束とは、神との約束です。
だけど、罪人である私達人間は弱いので、
これをよく守らないですね。今日ヤコブ使徒が伝える御言葉は、
イエス様の山上の教え、

「誓ってはならない」(マタイ5章)

と、その通りに教えています。
イエス様は本当に誓ってはならないと教えられたのでしょうか。
キリスト者の正しい誓いこそ素直なキリスト者の信仰告白であり、
自分が誓った通り行う事によって、
主なる神様と共に謙虚な信仰生活を送ることになり、
神様はその敬虔な生活を祝福してくださいます。
私達の信仰も神様に誓いながら、
その誓いを素直に守る事、これが聖書の言わんとする処です。
自己中心の軽い誓いは、主なる神様を冒涜する行為です。
信仰の良心に従って然りは然り、
否は否と素直な信仰生活をするのが良いと、
ヤコブ使徒は教えています。

「キリスト者の忍耐」

ヤコブの手紙5:7―11

この世は何処で何が起きるかわかりません。
聖書が書かれた時代も、
明日の事が見えない不安な時代でした。
キリスト者の先輩達は、天の国が早く実現されたらなぁ、
という希望を持ってー日を生きました。
ヤコブの手紙が書かれた時代の挨拶はいつもこうでした。

「主イエスよ来てください。アーメン。」默示録22-20
主イエスが再臨されると、その時こそ完全な神の国に回復されます。
今この時代は難しく、
交通事故が洪水のように起きています。
一日生きていることが、恵
みであり奇跡ではないかと思います。
今日一日、自分の身の周りで何がいつ起きるかわかりません。
私たちキリスト者は、
信仰を持って生きながらイエス様の再臨を待ち望まないと、
その信仰は嘘です。

信仰生活の中で大事なことは忍耐することです。
私達キリスト者は、この世の「時」をいつもちゃんと分別する力が必要であります。
また、預言者エレミヤの忍耐を習わなければなりません。
ヨブがどのような忍耐の人物であるか、ヨブ記を読んで下さい。
私達は、この世のつらい事にも不平不満を言わず、
忍耐しながら最後まで勝利者になりましょう。

「上から出た知恵と世の知恵」

ヤコブの手紙3:13-18

キリスト者がこの世で生きる為に
必要なものがたくさんありますが、
一番大切なものは何だと思われますか。
それは知恵です。
この世は険しい世だからです。
知恵とは神様から与えられる知恵と、
地上の知恵があります。

知恵を使っている人の結ぶ実を見れば、
上からの知恵か、この世の知恵か分別することができます。
地上から出た知恵は素晴らしい知恵のように見えますが、
悪魔から出たものです。
悪魔から出た知恵は内心ねたみ深く、
利己的で嘘をつきます。
その結果、大きな問題になり、
困難やあらゆる悪い行いになります。

上から出た知恵は神様から戴いた嘘のない
純真な知恵、温和な知恵。
平和を愛し和解します。
優しく慈愛溢れる知恵です。
よく従順し、憐れみと良い実に満ちている知恵、
偏見のない知恵であり偽善的な知恵ではありません。
私達はキリスト者として確信を持って生きているなら、
上から戴く知恵によって主の民にならなければなりません。
この知恵と共に私達が生きると、
平和の人、平和を実現する人、
和解の義の実を結ぶ人になります。

「信仰と行い」

ヤコブの手紙2:14-26

私達の救いは生きておられる神様、
御子イエス・キリストを信じることによって
成し遂げられ、確信を持ってきました。
ですが、ヤコブ使徒が書かれた箇所を読むと、
全然別の話のように思われます。
どこが違うのでしょうか?

「行いのない信仰なら何の役にも立たない、死んだものです。」
と、信仰の行いを強調していることです。
今まで自分が救われたのは、
自分の行い、善、努力ではなく、
ひたすら神の恵み、
主の賜物によって救われたと信じてきました。
この時間、私達に与えて下さった箇所を通して、
生きている信仰とはどのような信仰か、
学ばせていただきたいと思います。

本質的な信仰はただ一つです。
生きる信仰、その信仰とは御言葉に従順し、
行いが伴う正しい信仰です。
また行いを通して完成されます。
アブラハムは神様のひどい命令に何も言わず、
ただ従順しました。
私達は信じることによって救われるから行わない、
祈りの生活をしない、
御言葉に従わない。
こういった罪人の世代に向けて、
このアブラハムの信仰を伝えたいとヤコブは
聖書に書かれました。
娼婦ラハブも伝道者をかくまい逃がしました。
自分の命を懸けた行いです。
真の信仰は命さえ懸ける覚悟です。
私達は、それぞれ戴いた使命によって
行わなければなりません。

行いのない信仰は、死んだものと同じです。

「新たに生まれた者の生活」

ヤコブの手紙1:19-27

キリスト者の救いは御父なる神の御心のままに、
真理の御言葉によって私達を新しく生んで初穂としてくださいました。
そして神の国の民としてくださいました。
私達の国籍は天の国です。
新しく天の国の民となった私達は、
誰のために生きるべきでしょうか?
御父なる神、その方のために生きる存在であると悟ります。

神様の義を成し遂げるキリスト者の具体的な生活は、
「よくわきまえる生活」。
この世で起こる全ての事には、神様の摂理があります。
これをよくわきまえなさい。
自然啓示、御言葉を通して神様の声を聞くのに早く、
話すのに遅く、怒るのに遅いようにしなさい。
御言葉を聞くのに早く、人を活かす話、勇気を与える話をし、
自分の感情が心を支配しないようにしなさい。
古いもの(ローマ1:29-30参照)は全部捨て、
天の国の市民権を戴いた者として天の国の法律である
御言葉にいつも従順し一つの汚点もなく新たに生まれた私達に、
神様が限りない大きな喜びと希望を与えてくださいます。