「学者たちの贈り物」

マタイによる福音書2:1~12

旧約時代、イスラエル民族は主に選ばれた民族であり、
特別な恵みを頂いていました。
主なる神様が約束なされたメシアを待ち望みながら
その時を期待したのですが、やがて主がこの世にお生まれになった時、
彼らにはまったく反応がありませんでした。
祭司達や聖書学者達、ファリサイ派の人たちも
この日を全く感じることがありませんでしたが、
遠い東の国の名もない天文学者が星の異変を見つけました。

学者たちは預言者の言葉を思い出し、
黄金、乳香、没薬を用意し、星に従って旅に出ました。
星が導いた所はユダヤの地でした。
ユダヤの地ベツレヘムでメシアが生まれると預言者達は知っていましたが、
イエス・キリストがこの世に生まれる時、
何も準備ができていませんでした。
私達が、東の国から訪ねて来た学者達のような信仰も持って礼拝を用意しているか、
と言うことです。

現実の中で私達は黄金、つまり信仰によって山を越え、
川を渡り、谷も越えなければなりません。
私達が主の御前に信仰によって捧げる道を、
仕事が邪魔します。
世の人が邪魔します。
病が邪魔します。
けれども、主が私達に与えてくださった信仰により、
それらを越えなければなりません。

「忠実な支え人」

職分者献身礼拝 講師:談義孝義先生
箴言10:22

人間を豊かにするのは主の祝福である。
人間が苦労しても何も加えることができない。
新改訳では主の祝福そのものが人を育て、
人の苦労は何もそれを加えない。

職分を受けた人たちに要求されることは誠実であり、
忠実であることです。
神様が求めておられる誠実さ、忠実さは、
偽善であってはなりません。
律法学者やファリサイ派の人たちのように、
人に賞賛を受けようと演技するのではなく、隠れた所で示しなさい。
神様が見ておられます。
そうすれば神様が祝福してくださいます。
自分にとって不利益なことがあっても、
決めたことを誠実に行えば主が報いてくださる。
与えられた職分を、神様の前に誠実に忠実に果たしなさい。
心で決めたことがたとえ自分に不利になる状況になったとしても、
神様が見ておられます。
誠実さは人の前に見せるものではなく、
隠れた所で見せなさい。
祈りも然りです。
今すぐ応えられなくても、必ず神様は報いてくださいます。
目に見えることに一喜一憂しないで、
それぞれに与えられた任務に誠実で忠実でありますように。