「キリスト者と誓い」

ヤコブの手紙5:12

罪人である私達に使徒ヤコブは
「わたしたちの兄弟達何よりもまず、誓いを立ててはなりません。」
“何よりもまず、誓いを立ててはならない”と強調しています。

キリスト者として勝手に約束したり、
しなかったりするのは止めなさい。
約束したなら必ず守るべきであるという御言葉ではありませんか。
聖約・約束とは、神との約束です。
だけど、罪人である私達人間は弱いので、
これをよく守らないですね。今日ヤコブ使徒が伝える御言葉は、
イエス様の山上の教え、

「誓ってはならない」(マタイ5章)

と、その通りに教えています。
イエス様は本当に誓ってはならないと教えられたのでしょうか。
キリスト者の正しい誓いこそ素直なキリスト者の信仰告白であり、
自分が誓った通り行う事によって、
主なる神様と共に謙虚な信仰生活を送ることになり、
神様はその敬虔な生活を祝福してくださいます。
私達の信仰も神様に誓いながら、
その誓いを素直に守る事、これが聖書の言わんとする処です。
自己中心の軽い誓いは、主なる神様を冒涜する行為です。
信仰の良心に従って然りは然り、
否は否と素直な信仰生活をするのが良いと、
ヤコブ使徒は教えています。

「子ども達」

マルコによる福音書10:13-16

イスラエルの民族が待ち望んでいた予言者、
イエス様に触れて戴き、
教えと祝福を受ける為に人々は子供をイエス様のもとに連れて来ました。
弟子達はそれを見て叱りました。
しかしイエス様は、子供達が来るのを防げる姿を見て憤り、
弟子達を叱りました。

「子供達を私の所に来させなさい。妨げてはならない。
神の国はこのような者達のものである。
はっきり言っておく。
子供のように神の国を受け入れる人でなければ、
決してそこに入ることはできない。」

子供もイエス・キリストを信じないと救われません。
イエス様は、天の国に入るには、
子供達の純粋で単純な姿を知るように言われました。
私達はこの世に生まれた時から罪人です。
神様から離れた罪です。
大人達が子供達を連れてイエス様の所に来たのは、
素晴らしい福音であり祝福です。
子供達にイエス様の御言葉を聞く機会を、
親達が与える責任があります。
子供達は純粋です。
聞くとすぐに受け入れ、見るとその通り真似をします。

何を見せ、何を経験させるかは大事なことです。
子供は神の国の近くにいます。
大人も子供達と同じように、
純粋な信仰でなければなりません。
子供は次世代の主役です。
宝物です。
次世代の事を考えると、私達は子供達を連れて来て
御言葉を伝えなければなりません。

「信じる人は幸いである」

ヨハネによる福音書 20:26-31

皆さんはイエス様を、
本当に心から信じて教会に来られているのでしょうか?
私達が教会に行くのはイエス様を主人として、
救い主として、
信じて行っているのです。

イエス様は、御自身に従い、悟り、
イエス様に似て行く弟子達になる事を
望んでおられます。
今日の聖書の箇所は、
イエス様が復活され弟子達の前に現れたという場面です。
トマスという弟子は、
その時居合わせなかったので信じられませんでした。
私達もイエス様を信じると言いながら、
目に見える現実的な事に捕われて
おごりたかぶり生きているのではないでしょうか。
「トマスは言った。『あの方の手に釘の跡を見、
この指を釘跡に入れてみなければ私は決して信じない。』」

見て、触ってみなければ信じられなかったのです。
イエス様は時空を超えて姿を現せられ、
「あなた方に平和があるように」と言われました。
イエス様は平和の王であります。
トマスは見てから信じました。
見て触れて信じる幼い信仰から見ないで信じる謙虚な心、
へりくだった心、純粋な心で受け入れる幸いな器を持った者となりますように。